文京区千駄木五丁目。
この界隈は上野寛永寺の廟所造営用の木材を提供する「千駄木御林」として明治初期までは武蔵野の面影を残していました。
本郷台地の一翼をなし遠く品川沖を遠望できたといい、その景観を愛した大名の下屋敷や、文豪 森鴎外の居宅「観潮楼」などがあったことからも、調和のとれた潤いのある環境があったと想像されます。
現在も周囲には寺社が多く残り、また敷地から根津神社へと続く裏道などに当時の面影がかろうじて残るものの、残念ながら現状の周辺環境には往時の潤いある環境は見当たりません。
歩車分離の不十分な街路、圧倒的に少ない緑地、景観の不調和など、環境的且つ審美的に悲観的な状況であることが現地を見た第一印象でした。
この地に108戸の集合住宅を計画することは、この環境に少なからぬ規模でかかわりをもつことになり、何も工夫をしなければ現在の悲観的な状況をますます増大させることになりかねません。